私自身がものづくりが好きなのだが、手作りのものをプレゼントしたことが今まで無く、初めての手作りプレゼントは、一番大切にしてもらえるものにしたかったから。
カーブした腕の部分は、2人の手をつなぐイメージ。
ダイヤの横にそれぞれの誕生石を入れ、腕の内側にイニシャルを彫った。
“思ったより、それっぽい”と思ったが、じっくり見ると自分が加工したワックスのままの形で、嬉しかった。
少しアンバランスになってしまったところも手作り感が出て、思い出になります。
一生懸命作ったから、彼女に気に入ってもらえるとうれしいです!
「昨日、無事にサプライズ・プロポーズを成功させることができました。
彼女は、感動して泣いちゃうということはありませんでしたが、とても喜んでくれました!!
サイズもぴったりでした。本当にありがとうございました。」
今回の指輪の制作には、本人とお友達のグループでお越し頂きました。なんと、お友達もサプライズに参加されるという大掛かりなプロポーズを企画しているそうです。
相手の好みを考えながら、相手の喜ぶ顔を思い浮かべながら、プレゼントを選んでいる時間は本当に楽しいです。
また、プレゼントをもらうことも嬉しいこと。私たちは、プレゼントを贈ったり、贈られることでとても幸せな気持ちになれます。
ただ、時にそれを純粋に楽しめないときもある。いつものと同じ嬉しい感覚になるはずなのに、なんだか違和感がある。
いつもと同じ自分なのに…そんなときは環境の変化、体の変化、心の変化に気づきませんが「純粋に嬉しい」という感覚を失っている状態なのです。
私たちは、常に感動したことや嬉しいこと、楽しいことを記憶しています。
「今までで一番」
「こんな嬉しい〜初めて」
など無意識にプレゼントの品だけで比較しているのです。
これだけ商品が溢れている時代だからこそ、プレゼント選びの選択肢はたくさんあります。その選択はいつの間にかその人のセンスなんて言われる時代です。そして、高価なもの希少なものが付加価値として評価されます。もちろん、これはいい傾向でもあるのです。
ただ、それが正しいと決める風潮は歪みを生みます。
「純粋性」
プレゼントは相手への想いを自分が表現したものであれば、贈られた人もその人の想いを感じるものです。
そのためには、自分がまずは納得・満足できなければ意味がないと思います。
「自分が本当に欲しいと思うもの。」ここにしか答えはないと思っています。
もっと言えば、贈ることが惜しいくらいの愛着のあるものをプレゼントなら、お互い素敵な想い出となるのではないでょうか?
人生にプレゼントを贈る機会はそう多くはありません。
また、贈る機会はイベントです。
人生のイベントとして楽しい素敵な想い出を作ってほしいと願います。