贈り物
今回のオーダー作品の物語は、テレビをご覧になり緋銅のことを覚えていてくださったM様です。
M様がとてもお世話になった会社の先輩に、緋銅でオリジナルデザインのキーホルダーを贈りたいとのことでした。
キーホルダーのアイテムは、初めての挑戦となります。
それに加えて、そのデザインを制作するにあたり作業の難易度、また不安要素もありました。
制作が可能でしょうか、というお問合せに対して、最初に回答した内容の一部がこちらです。
デザインイメージを確認させて頂きました。
キーホルダーの用途とのことで、厚み1.8mmもしくは2.0mmを考えております。
厚み2.0mm以上は取扱いがなく、恐らく火入れ条件も変わるため、期日と費用のご負 担が増えると思います。
大きさもデザインも制作は可能ですが、緋銅は火を使った着色技法のため、ロウ付けができません。
制作では1枚の銅板からそれぞれの形をヤスリで削りだす手仕事となります。
そのため、図形のラインは若干歪みができたり、角(エッジ)は磨きの作業によって 丸くなる場合があります。
銅板1.8mm使用の場合、それぞれの図形の厚みは1.2mm(段差約0.3mmで3段)となりま す。
なお、キーホルダーと本体をつなぐ穴は円の上部のイメージでしょうか。
火入れ後の作品判断については、自信をもってお渡しができる作品を目指します。
そのため、数点制作した中で、仕上がりがベストのものを選びます。
ただ、それでも表面、とくに裏面に色ムラがある場合もございます。
長文となりますが、これはデザインの大きさ(サイズ)、デザインイメージに加えて手書きのイラストなど、具体的にご提示していただきましたので、それにひとつひとつ説明をしているためです。
なお、基本的には、オーダーのお問合せの定型文などはありません。
音信不通のアクシデント
回答のメールを送信してから、返信がないまま2週間が過ぎました。
しかし、早々にご返信して頂いたメールと、その数日後の確認メールの2通が「spam」フォルダに入っていたのです。
さらに、3月末に先輩が退職されるので、その時に贈りたいとのことでした。
残り3週間という状況でしたので、すぐに連絡をしました。
予想通り連絡がなかったため、他の贈り物も調べていたそうです。
でも、「贈り物は緋銅で」と考えていて、ずっと待っていてくださったそうです。
そもそも「spam」に入ることは、これまで1度もありませんでした。
とても稀なことでしたが、この一件で作業の難易度や不安要素に真摯に真っ向から向き合う覚悟ができました。
納期が迫っていることもあり、その日から打ち合わせをメールで何度もやり取りさせて頂きました。
M様の対応の速さは、想いの強さであり同時に優先順位が高いからであり、その想いに自分も想いで応えたいと心の準備(楽しむ心と創作意欲)も整っていきましたので、とても感謝しております。
打ち合わせと試作
打ち合わせと同時に試作も行いました。
例えば、キーホルダーの穴の位置を決める時には、図面ではイメージしにくいこともあり、実際に試作品で確認しました。

最終的なデザイン、キーホルダー金具、お見積り、納期など。
打ち合わせの段階で、すべての確認が終わりましたら、いよいよ制作に入ります。
制作開始
打ち合わせの際にお伝えした【制作における注意事項】の内容の一部がこちら
○制作では1枚の銅板からそれぞれの形を手仕事で成形するため、図形のライン(重なる箇所も含め)に歪みができる場合があります。
○図形の重なる部分の段差は0.2~0.3mmとなります。
○図形の面は膨らみをもたせた仕上がりとなります。
○火入れ後の作品判断は、自信をもってお渡しができる作品を目指します。数点制作した中から仕上がりがベストのものを選びますが、表面、とくに裏面には色ムラができる場合もございます。
3月末の退職日が前倒しとなったこともあり、1週間で制作することになりました。
火入れを1回で決めるとして、3枚同時制作で開始しました。

初めに、糸鋸で厚さ1.8mmの銅板(結構硬い)から(鋸刃が太いと小回りがきかないため)、大きめのサイズで切り出します。
そこから、ガイドラインに沿って、糸鋸でデザインのアウトラインを切り出します。
表と裏は、それぞれ重なり方が異なるので、間違えないようにケガキで下書きをします。
ラインの段差は0.2mmですが、逆に言えば0.2mmの範囲で成形しないといけません。
つまり、1回でもミスをすると致命傷となるため、ヤスリで削る工程では、左手でしっかり固定し、右手はヤスリの角度に集中してぶれない様に力を込めて動かしていきます。
削る面に最適なヤスリを選びながら、表面と裏面に正方形・円・正六角形とそれぞれ削り出していきます。
この時点で、制作2日目が終わりました。
成形が終わった後は、磨きの作業に入っていきます。
リューターとバフで、それぞれ複数の研磨道具を使い、数回の工程で磨き上げていきます。
面が綺麗になれば、当然それまで見えなかった成形の粗が現れてきます。
その都度、磨きの工程を中断して、成形をして、再び磨きをしていきます。
この工程を繰り返していきます。
その際に、0.2mmの段差の仕上げがとても重要になります。
当然、ラインが消えてしまえば、成形の工程に戻ることになります。
また、ラインの溝もしっかりと磨かないと色ムラの原因となります。
細かなところを磨くというのは、道具もそうですが技術も必要になります。
制作5日目にして磨きが終わりました。
遂に最後の火入れの作業を迎えたのは、お渡し日の2日前の朝でした。
チャンスは3回、ここで決める!でも、決められるのか?
結果は、満足できるレベルには至りませんでした。
不味い、どうしよう…。
感情が裏目の結果に
その日に、メールにてご報告した内容の一部がこちらです。
3点同時制作で進行しましたが、本日の段階でお渡しできる作品にはなりませんでした。
現在、2回目の2点同時制作を進行しています。
楽しみにお待ちいただいているところ、このような状況になり、大変申し訳ございません。
納品日の23日㈫午前中に火入れを予定しております。
昼頃には、結果報告を致しますので、お待ちください。
火入れ前から抱いていた不安や、火入れの時に現れた自分のチキンハートに対して、怒りの感情が沸き起こりました。
そこから、奮起の力に変えて再挑戦することを決めました。
5日間費やした作業を3日間で行うため、2点同時制作が限界です。
しかし、1度火入れをしているので、どちらかで決めることはできるとの自信はありました。
また、この段階で先輩の退職日が1日延びたとのことでした。
納品が夜でしたので、翌日に贈る準備をしていただき、当日を迎えていただくような流れができました。
ここに来ても後押しされるような良い流れで2回目の制作を進行していきました。
贈るタイミングは大切

いよいよ、23日を迎えました。
前日は、早めに切り上げて1回目の火入れ動画を何度も見直して分析して対策を考えました。
早朝に移動し工房入りをして、火入れを行いました。
結果は、前回よりも良い仕上がりの作品(上記の写真)となりました。
これなら納品ができるという作品に安堵感と同時にある感情が残りました。
今回は、前回と同じ条件で行い結果を出した。
でも、この条件を変えて火入れをしたら、さらに良い結果が出せるのではないか。
2回目の制作から、今から制作をしても当日に間に合うという算段はできました。
納品できる作品はここにあるから、失敗してもリスクはない。
でも、3回目の制作については、M様に事前報告することは控えました。
納品時に初対面をして会話を通じて伝えるかどうかを決めようと思いました。
完成した作品を見てくださり、とても喜んで感動してくださいました。
それから、色々と今回の経緯などお互いにお話しさせて頂きました。
自分の心に整理がついたので、ご提案という形で3回目の制作のお話をしました。
その提案に快く受け入れてくださり、納品の段取りをその場で打ち合わせを行いました。
しかし、ここまで盛り上がったお話も失敗に終わる結果となる可能性があることは、ご理解して納得して頂きました。
キーホルダーを飾り物に
基本的には、納品する作品は1つです。
しかし、キーホルダーに適しているのかと言われれば、できれば控えて頂きたいという気持ちはあります。
贈り物であれば、尚更のことです。
緋銅のキーホルダーは、思い出の物として飾り続けてほしい。
そこで思いついたアイデアは、1回目の3つの中から1つ選び、それをお試し品として納品することでした。
メイクドラマのハッピーエンド
正直なところ、身体は悲鳴を上げ始めていました、さらに、精神的にも限界が見え始めてきました。
制作期間は2回目よりも1日早く仕上げることになりましたが、2枚同時制作を行いました。
でも、作品作り開始当初から、制作中心の生活習慣に切り替えていたので、ギアを上げ続けることができたと思います。
5つの作品制作を通じて、各工程の見極めポイントを理解し、作業に迷いがなくなり、全体の流れをコントロールできるようになっていたのは、この段階では大いに助かりました。
自分で成長を実感できると、自信となり精神面も回復していきました。
目覚めているときも、寝ているときも制作に意識が集中していましたし、理想のイメージに向かって進んでいきました。
ハッピーエンドになるという根拠のない自信は、精神的にも大きな支えとなりました。
いよいよ、本当にこれで最後の火入れです。
結果は、前作よりも良い仕上がりとなり、自分でも満足できる作品となりました。
M様の感想

贈られた当日にご報告を頂きましたので、内容の一部をご紹介させて頂きます。
お渡しし、時間があったのでそのまま見てもらって感想も色々聞くことができました。
時間をかけて試行錯誤していただいたことや、色々準備いただいたこと、実は昨日再度制作いただいて本日受け取ったことなどをお話しし、ここまでこだわって作っていただいただけでなく、細やかな心配りにも とても感動されていました。
見た時の感想についても、開いてすぐに「綺麗!」というコメントをもらい、すぐに気に入っていただけました。
緋銅については少し知っているようでしたが、実物をみるのは初めてということでじっくり観察されていたのが印象的でした。
綺麗で均一な色合い・ 色味が好き、と仰っていました。
最後になってしまいますが、本件については最初から最後まで、ただただ感謝しか ありません。
プレゼントとして贈るはずの私ですが、一緒に作っていくこと(※)ができて、とても楽しく、嬉しい気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました。
※ただご依頼したものを作っていただくのではなく、工程の詳細を教えていただいたり、+αのアドバイスいただいたり、と「作り上げる」ことができた。
あとがき
私からM様へ最後に返信した内容の一部がこちらです。
作品作りのきっかけがオーダーというお話はさせて頂きましたが、同時にその方にとって大切な記念日の贈り物でした。
オーダーに限らず作品の選定には、贈り物としての品格を満たしているかは大事にしております。
しかし、火入れは自然の法則と言いますか、感情ではどうにもならないこともあります。
最初にお問い合わせを頂いた日から、事のひとつひとつにタイミングと意味があって、今日の結果に繋がったと確信しています。
緋銅の作品を通じて、贈る人も、贈られる人も、そしてそれを見た人も楽しくなり、嬉しくなる、幸せの連鎖を作りたいと考えていますが、今回は最後にMさんから背中を押してもらえたことで、乗り越えることができたので感謝しております。
大切な方への贈り物として、ご指名していただきまして、本当にありがとうございました。
ブログの感想
最後の返信に対して、M様から感想を頂きました。
内容を拝読して自分にとっては宝であり、大切にしたいという理由から公開は控えたいと思っていました。
そこから半月が経ち、M様のご厚意を素直に頂こうと内容の一部を公開する事に致しました。
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工房にお邪魔したときにも想像できておりましたが、全工程を文字で改めて拝見し、切り出しから成形、磨きとすべてに神経を使うということを再認識しました。
さらに、そのあとの火入れ工程も一瞬の戦いで、すべてを実現して形にすることが できたのは、飯田さんの技術と熱意のおかげだとひしひしと感じております。
また、厳しいスケジュールで自らを追い込んでまで仕上げてくださったことにも、「ひとつひとつがタイミング」という風に言っていただき、ただただ感謝しかございません。
直接お会いしてお話しし、作品に懸ける思いや情熱を言葉で伺うことができて、私は今でも飯田さんにご依頼してよかったと感じております。
最後になりますが、飯田さんの今後のご活躍を陰ながら応援させていただければと存じます。
またお会いできる日を楽しみにしております。
本当にありがとうございました。
M
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