神さまや 仏さまが
ほんとうに いらっしゃるか どうか
でも あの合掌したときの安らぎは
どこからくるのでしょう
右の手の悲しみを
左の手がささえ
左の手の決意を
右の手がうけとめる
その上を流れる静かな時間
こうした姿勢を教えてくださったのは
どなたでしょう…
高田 敏子 「浅草観音」より
合掌の起源
インドに古くからあった風習で、最古の発祥時の意味は、相手に対する「降伏帰順」でした。
つまり、何も武器を持っていない暴力の意思はないことの表明だったそうです。
人間が合掌をどれくらい前から始めたか?少なくとも4~5000年以上まえではありそうです。
そこから発して、遅くともヴェーダ時代(紀元前1000年~500年位)には、敬礼や礼拝または挨拶の様式の1つとなりました。
そして紀元前500年ごろ、仏教とジャイナ教がインドに誕生し、「帰依」など多様な意味が付随し様式化されたようです。
合掌の意味
合掌は、仏前に対する基本的な動作で、両方の手のひらを合わせ、目を閉じて静かに礼拝します。
この礼法はインドから伝わり、現在のインドでも人々は挨拶をするときに合掌します。
インドでは古くから右手は清浄、左手は不浄とされてきました。
右手で食事をし、左手で用を足す。この使い分けは、今もきびしく守られています。
古い歌に「右ほとけ、左われぞと合す手の、中ぞ床しき南無の一声」というのがあります。
右手は清浄、神聖、真理、仏を表し、左手は、不浄、世俗、いつわり、煩悩、衆生、わたしたちを表わします。
合掌は、仏様と私が一つになり心を通い合わせ、仏の存在と安心を得るのです。
つまり「仏様が一緒だ」と考えると、心が豊かになり苦しいことも乗り越えることができるのです。
「仏に帰命する」という合掌。意味をまとめると…
- 右手のみ仏と左手の自分が一体になる
- 掌をわせることで、無防備・無抵抗を表し、平和そのものの姿である
- 心の中が一つの心で二心がないこと(仏を疑う心がないこと)
合掌にはいろいろな種類があります。
- 両手をぴったりと合わせるオーソドックスな堅実心合掌
- 手の平あたりを少しすきまを作る虚心合掌
- 合わせた指先を少し互いに組み合せる金剛合掌
- 指を深く組み合せ外に曲げた外縛合掌
宗教により十余種の合掌があるといわれています。
人、動物、植物にも大地にも、"いのち"があります。
この"いのち"を、遥か昔から脈々と「仏のいのちを継いできたもの」と受け止め、「ありがたい」と敬いと感謝の思いを込めて手を合わせることが、合掌です。
食事のときに「いただきます」と、たくさんのいのちに感謝をして手を合わせます。
これも、「いのち」に感謝し敬う心を行動に表した姿です。
日本人が昔から使っている「もったいない」、「ありがたい」、「おかげさま」という言葉も、同じような心が込められたものだといえます。
お寺で、家庭で、様々な場で合掌し礼拝するということには、いずれも感謝と尊敬の意味が込められています。
全ての「いのち」を「仏のいのち」と受け取り、「ありがたい」と感謝の思いを込めて合掌します。
心は形を求め、形は心をすすめる
「心は形を求め、形は心をすすめる」
合掌は「心と形」とも言えると思います。
指輪にも真ん中があり右と左の腕があります。
結婚をする行為のひとつが、結婚指輪です。
そこに自分が手作りするということは、「幸福」や「希望」、「平和」などの願いを込めること。
これまで支えてくれた多くの人々に感謝、ふたりのために、あるいは家族や他の人々のため、またこの国のため、この世界のために…
結婚の誓いに捧げられたそれら一つ一つ思いを指輪に込めて大切にして頂きたいと思います。
その気持ちと想いを忘れずに指輪という形にして欲しいと思います。
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