生きている証

Win×Win×Win

あなたにとって生きている証とはなんですか。

自分にとって生きている証は、「手作り指輪で人と人の想いを繋げる」お手伝いをすること。この手作り指輪は自分の仕事にする価値があると信じたから、2013年に20歳からずっと続けてきたサラリーマン人生から起業という決意をしました。

浅草で開業後は決して順風満帆とはいかず、何度も心が折れそうになったし、今年は廃業まで決断をしています。それでも、現在こうして活動を続けることができるのは、支えてくれた方達のお陰です。想いを共有できる職人(仲間)との工房での活動、コラムニストとしての執筆活動、これまで手作りされた方達との思い出とその後の交流、すべてのことに感謝しています。
手作り指輪のお手伝い=自分の生きている証なのです。なので、週末も終電も出張やお盆も正月も365日、リンプラへの依頼は仕事という概念はありません。悪く言えば、公私混同の生活ですが、自分にとっては、常に優先順位はリンプラなのです。

だから、関わる人も選びます。業者は当然ですが、手作りや依頼する人も選びます。

その理由は、Win×Win×Winの関係作りです。その条件として、対等な関係にならなければ、Win×Win×Winにはならない。つまり、自己を優先する人の評価が0ならば、結果は0点にしかならい。評価が1だとすれば、可もなく不可もない。それぞれが評価2以上のレベルとなって初めて価値のあるものが誕生するのです。

これまでも、これからもWinの評価を上げる手段は、手作り指輪のお手伝いです。手作り指輪のお手伝い=自分の生きている証なので、もっといろんな人に知ってもらいたい。

父親が倒れる

2015年7月31日午前6時。朝いつものように2階から降りてきた父親。数日前から体の体調はあまりよくない状態で、前日には熱もあり早めに寝就についていた。台所で朝食の支度をしていた母親を見るなり、「気持ち悪い」と言ったそうだ。母は「人の顔見るなり、気持ち悪いって失礼ね。」冗談で返したらしい。その後に、廊下で倒れた。自分が犬の散歩から帰ると、すでに意識のない状態で血の気が引いた父親の姿だった。救急車の到着をふたりで待った。その間も、父親の呼吸は乱れ、手は震えながら硬直していく。

その後、救急車で病院に運ばれた。診断の結果は「くも膜下出血」だった。

幸いにも、即死は免れた。集中治療室では全身管まみれ。意識はない。その後の検査CT、カテーテル、MRIの結果では瑠が見つかることはなかった。それから約20日間が経過した。

高次機能障害、脳の出血によって脳の働きの何らかに障害が起きている。その原因はわからない。リハビリと状態の経過を見続けるしか方法がない。それはそれで、家族もしんどい。しんどいというのは、周りから病状を伝えるにあたり、見解が明確ではないので、憶測での話になる。もちろん、先のことを計画するも本人に依存するところが多く、不透明さは残る。

今回、父親が重い病気になり、あらためて自分自身、「生きていること」について考える。

恩返し、恩送り

「恩」とは、恵み、慈しみ(いつくしみ)という意味です。 誰かから受けた恩を、返すことを「恩返し」といい、別の人にその恩を送ることを「恩送り」と言います。恩送りは、その送られた人の恩をさらに別の人に渡す。そうして、「恩」が世の中をぐるぐる回ってゆくということです。

古くから日本人では『情けは人の為ならず』という言葉がありますが、「情け(=親切)は、いずれは巡り巡って(他でもない)自分に良いことが返ってくる(だから、ひとに親切にしておいた方が良い)」という意味があります。

英語ではA kindness is never lost(親切は決して失われないので実行しよう)と表現している。

ただし、現代の先進国などでは人々が、こうした良識やモラルを忘れがちになり、極端に利己的で近視眼的になる傾向があることや、それが社会的に見ると様々な害を引き起こしていることはたびたび指摘されている。そのような状況の中、近年、Pay it forward(ペイ・イット・フォーワード)の表現で再認識されるようになった。

仏教の4つの恩

仏教では、人は生まれながらにして四つの恩をいただいているとされています。

  1. 国王(国家)の恩
  2. 衆生(しゅじょう:生きとし生けるもの)の恩
  3. 三宝(さんぽう:仏教徒の原点となる仏・法・僧)の恩
  4. 父母の恩

四恩(しおん)を自覚することが「恩義」であり、恩義に感謝することが報恩(恩返し)への道と説いています。

「親孝行したい時には親はなし」という諺があるように、特に親への恩返しは思い通りにはならないことも多いものです。

ここで大切なのは、生きているということは誰かしらの恩を受けているということです。つまり、「孤独感」「孤立感」を感じることがあっても「ひとりで生きている」なんてことはないということです。

恩を受けていることを自覚するのです。

「国王(国家)の恩」「衆生の恩」は、いまの時代なら「地球の恩」と置き換えてもいいかもしれません。私たちは地球という限りなくやさしい生命体の中で護られ、生かされてきました。環境問題が深刻になっているいま、その地球のために何ができるだろうか…そんなことを意識しながら、身近な小さなことから実践していくのも、恩送りのひとつといえるでしょう。

 ただし、「恩を売る」は、見返りを期待して親切にすること。「恩着せがましい」と思われる行為も、正しいことではありませんのでご注意を。

恩を感じる感性

ただ、「恩送り」をできる人は、恩を感じる感性がなければなりません。他者に対しての適度の緊張感と柔軟な感受性と豊かな想像力がなければ、他人から受けた行為に感謝することはできません。だれもが「自己中」の考え方は持っています。その為、他人に構っていられない自分で精一杯という気持ちは理解できます。ただ、誰かに恩を感じたり、他人に感謝したり、他者の存在をありがたいと思ったりする心は、決して忘れてはいけないと思います。

誰もが人生を振り返れば、恩人と思える方が何人もいるはずです。その中には父も母も入ります。そして、その恩人とはいつかは必ず別れがやってきます。その受けた恩を、これから私と関わる人たちに送っていかなければならないと思うはずです。「生きている証」は誰もが持っているものです。それは、誰かが与えてくれるものではなく、自分で確信できるものなのです。

自分の心と直観と感性を日々生活の中で磨いてください。それは、思うではなく、行動(実行)するということです。そして、常に自分の内面と向き合う時間を作ってください。これはとても大切なことのです。

感謝をカタチに残す

2014年の自分の手作り指輪「いわせてリングプロジェクト」はまさに恩送りの活動だったと思います。父親が倒れた時も、自分に残してくれたものと言えば、この指輪しかなかった。同じことをやろうと思っても、今の状態の父親では不可能でした。

その先はわからないからこそ、今できることをやる。「思う」と口だけの人はやらない言い訳。思うなら自分から行動する。行動できないのは、その人にとってはそれはその程度ってこと。



恩をもっとシンプルにすると、自分が苦しいとき、悩んでいるとき、悲しいときに、誰かのさりげない言葉や行動に助けられることがある。それを「恩」と呼ぶのです。しかし、恩は感じても、自分の心のゆとりがなければ返すことがなかなかできないのです。

職人の世界では、師匠が弟子に教え、先輩弟子が後輩に教えるという関係があった。これは、自分が弟子から恩返しを期待するのではなく「恩送り」なのです。

「恩送り」は自分自身が数多くの人達に返せなかった恩であり、出来る時に、出来る場所で、出来る人に恩を返すことが重要なのです。


自由な発想で想いを込める

母親から受け継いだ婚約指輪をリフォームして、母親にプレゼントしたり、母親に自分が作った結婚指輪をプレゼントする柔軟な感受性と豊かな想像力で依頼をお受けしたことがあります。
母親が亡くなったときに、形見として自分が身につけるそうです。

自分が手作りするということは、恩に対して感謝の気持ちがなければできないものです。




最後に、最初の方で『手作りや依頼する人も選びます』と言いました。それは、恩送りができる人を対象にしている手作り指輪を目指しているからです。そのため、HP作りも、打ち合わせも、その人が何を求めてきているのか、「なぜ」を明確にしています。

リンプラと関わったことで、あらためて、誰かの恩を感じたり、他人に感謝したり、他者の存在をありがたいと思ったりする心を思い出すきっかけになれば、これ以上の喜びはありません。また、恩送りしたい方に感動していただけるような手作り指輪を一緒に共生している感覚はとても楽しいですし、何よりも達成感と充実感、自分の生きている証となります。

もっといろんな方へ手作り指輪を知ってもらいたいと思います。