ピゴット・ダイヤモンド
重さ47ctから85.80ctまでいろいろな説がある幻のダイヤモンドです。
インドのマドラスの二代目総督であったジョージ・ピゴット男爵が所有していた為、彼の名前がつけられました。
その後何度も人手に渡り、ナポレオンの母のマダム・ボナパルトが持っていたともいわれています。
最後は1818年にアルバニアの統治者アリ・パシャが15万ドルで購入しました。
1822年トルコ皇帝が侵略してきた際に、致命傷を負ったアリ・パシャが部下の将軍に、ピゴット・ダイヤモンドを手渡し、目の前で打ち砕くよう命じましたそうですが、その証拠は残っていません。
現在もこのダイヤモンドは見当りませんが、前もってイギリスで造られた模型が唯一残っているそうです。
オルロフ・ダイヤモンド
最初の所有者のムガール帝国の王子は、「かの石に触れるものに災いあれ」という言葉を残しました。
その後、盗掘されます。このオルロフ・ダイヤモンドは、1774年グレゴリ・オルロフ伯爵が、ロシアの女帝エカテリーナ2世に献上したものです。オルロフ伯はアムステルダムで 45万ドルで購入したといわれます。
一方、このダイヤはフランスの宝石商タベルニエがインドで見て以来歴史的に消失したといわれる、グレート・ムガル・ダイヤモンドではないかといわれています。
オルロフ伯が手にしたダイヤが本物のグレート・ムガル・ダイヤモンドであるなら、ペルシャ王シャー・ナディールによるインド・デリーの陥落の際の戦利品の一部であり、それがアムステルダムにもたらされたものと考えられます。
199.60ctのダイヤモンドで、クレムリン宮殿のロシアの財宝の一つとして、皇帝の王笏にセットされ展示されています。

パシャ・オブ・エジプト・ダイヤモンド
40ctのインド産の8角形(オクタゴン)にブリリアント・カットされたダイヤモンドです。
1848年エジプトの将軍イブラヒム・パシャが2万8000ポンドで購入し、その息子のイスマイル・パシャが1879年に免職、追放された時に、多量の宝石とともに持ち去ったと当時の歴史家は記録しています。
その後売却され、1933年にはカルティエによってエジプトに売られファルーク王の所有となりました。
これをイタリアの宝石商ブルガリが買い取り、アメリカのバーバラ・ハットン夫人に売却。
彼女はこの八角形が気に入らず、カルティエに再研磨を依頼しました。
38.19ctで指輪にセットされ、その後再び研磨されて36.22ctとなりました。
現在はヨーロッパで個人所有になっているといわれています。