歴史に残る世界のダイヤモンド②

ホープ・ダイヤモンド


所有者を不幸にすると言われた45.50ctのブルーダイヤモンドです。

「フランスの青」、「王冠のブルーダイヤモンド」、「タベルニエ・ブルー」など、さまざまな別称がつけられています。

 

1645年、探検家兼宝石商のタベルニエが112.25ctのブルーのダイヤをインドで購入します。

最初の持ち主となったルイ14世が、再研磨されハート形になったといわれています。

ルイ14世は、国家の財政悪化に悩まされ、子どもや孫に先立たれてしまう。

その後、ルイ16世の妃のマリー・アントワネットに受け継がれます。

 

1792年の王室財宝庫からの宝飾品の盗難後消失しました。

出典によって異なりますが、このダイヤはサイズがかなり小さくなった状態で、1830年にロンドンで売りに出され再び姿を現わし、銀行家のヘンリー・フィリップ・ホープによって購入します。

 

孫のヘンリー・フランシス・ホープの代で破産。

次にロシア貴族が手に入れるが、ナゾの死を遂げる。

1909年手に入れた宝石商が自動車事故死。

 

その後、トルコ皇帝アブダル・ハミットII世が購入しましたが1年後には退位させられ、アメリカのエドワードB. マクリーンによって夫人の為に買われました。

マクリーン夫人の死後は、ニューヨークの宝石商ハリー・ウィンストンが購入し、個人コレクションに加えました。

 

現在はワシントンのスミソニアン博物館まで展示されており、その色と伝説的な宝石の不思議な輝きで来館者を魅了しています。

ホープ・ダイヤモンド

ジュビリー・ダイヤモンド


1895年、南アフリカのヤガースフォンテイン鉱山で650.80ctの原石が発見され、この州の総督にちなんでライツと名付けられました。

2年後、その年はこのダイヤが研磨された年であり、ビクトリア女王の即位60年祭(ジュビリー)でもあったため、「ジュビリー」と名付けられました。

245.35ctのクッション・ブリリアントに研磨されましたが、その際に無色の非常に完璧な13.34ctのペアシェイプのダイヤも取る事が出来ました。

インドの大実業家、サー・ドラブ・タータが、彼が死ぬまでこのダイヤを持っていました。

彼の相続人は1939年にカルティエを通じて売却、現在このダイヤは個人の所有となっています。

グレート・ムガル・ダイヤモンド


タージ・マハルを建てた事で有名なムガル皇帝シャー・ジャハーンの息子アウラングゼーブ帝がフランスの宝石商タベルニエにこのダイヤを見せたと言います。

皇帝の財宝を見ることを許された最初のヨーロッパ人であるタベルニエの話では、グレート・ムガールは1550年頃にゴルコンダの近くの鉱山で発見され、原石は787.50ctの重さがあったそうですが、タベルニエが見たときは280ctの卵を半分に切った形と記しています。

 

1739年、ペルシャの王、シャー・ナディールがムガル帝国を侵略し、首都デリーを陥落した際、グレート・ムガールやコー・イ・ヌールを含む皇帝の財宝を戦利品としてペルシャ人の手に渡りました。

 

1747年、シャー・ナディールが彼の将校たちに殺害された後、全ての宝石の足取りは失われます。

やがてヨーロッパへ渡って行ったといわれています。

現在では、同じ形をしたオルロフダイヤモンドではないかといわれています。

グレート・ムガル・ダイヤモンド