結婚指輪の歴史

はじめて結婚の証拠としたのは、9世紀のローマ教皇ニコラウス1世。

 

1027年、「そこでは、花婿は花嫁に金のリングを、花嫁は花婿に鉄のリングを交換している」

(ミュール『ローマのマリッジリングの起源』)との記録が残っています。


11~13世紀のキリスト教

 

キリスト教が広がりとともに、「神への契約のしるし」としてのリング交換の儀式が発生しました。

 

その教えは、"結婚により神と契約を結ぶことによって、男女は生涯結ばれるのである"というもの。その儀式を見守るのが教会の役目となりました。

 

デザインは、シンプルが主流。

 

輪は「永遠のシンボル」であり、「超自然的な力が宿っている」と言われていました。

ふたりの愛を守る神秘な力があると信じられていたのでしょう。


ルネッサンス期に金細工師の技術が生み出した「ギメルリング」です。

ギメルとは≪双子≫を意味するラテン語gemelliのことです。

 

ギメル・リングはリング下側の中心点を軸に、扇のように開く2つのリングから出来ています。

閉じれば、ひとつのリングのように見え、ふたりがひとつに結ばれる結婚を象徴しています。

 

1600年頃にはギメル・リングも≪永遠の愛≫、そして≪絆≫をさらに強めたいという恋人たちに支持されマリッジリングのデザインの流行となっていきます。

 


中世後期の金細工士たちにより、ダイヤモンドの価値を更に際立たせるようなデザインを施すようになりました。

 

ダイヤモンドをかまぼこ型にカットしたり、バラの形やアルファベット、また聖母のシンボルである白百合などのモチーフをダイヤモンドで精巧に表現するようになりました。

 

16世紀になっても、まだダイヤモンドリングは珍しいものでした。
王侯貴族の庇護のもとで技を磨く金細工師にとっては、よりすばらしいダイヤモンドリングを創ることが腕の見せどころでした。

 

立体的な模様をエナメルでソフトに彩り、彫刻的なアーム部分に尖ったカットや、テーブルトップカットのダイヤモンドを埋め込んだデザインが生まれたのがこの時代です。

 

またダイヤモンドを埋め込む部分に銀箔を内張りをして、ダイヤモンドのもつ純粋な白い輝きを強調する工夫をしました。

 

ダイヤモンドそのものの美しさが融合するようになり、王国貴族の間で、ますます多く使われるようになりました。

 

バイエルンのアルブレヒト5世のマリッジリング

16世紀の技術の粋を尽くして小さな16個のダイヤモンドがバラの形にちりばめられています。

 

スコットランド女王メアリー・スチュアートとヘンリー・ダーンリーの結婚式

1565年には3つの結婚指輪の内、ひとつは赤エナメルで彩色され、ダイヤモンドをひとつ飾ったリングでした。

 

メアリー女王の息子であるジェームス一世とデンマークのアン女王

1589年に、金にエナメルを彩色し、ダイヤモンドを5個ちりばめたダイヤモンドリングが選ばれました。

 

16世紀には王侯貴族を中心にダイヤモンドが珍重され、17世紀には更にその美しさが引き出されていくようになります。


ギメル・リングとフェデ・リングは、新しいロマンティックなシンボルとなりました。

 

そして、第三のシンボルとして『ハート』が加わります。

 

凝ったものになると、エナメルで彩色した2本の手が、大きいハート型のダイヤモンドをささげ持つようなデザインさえありました。

 

17世紀にはこれ以外にも、情熱で燃え立つハートやキューピッドの矢で貫かれたハート、誠実の証の王冠を戴くハート、片手や両手に抱かれたハートなど、様々なハートで飾られています。

 

ローズカットやテーブル・トップ・カットのダイヤモンドが使われました。

 

スウェーデンのグスタフ・アドルフ国王は、愛情の証として、ハートのルビーをダイヤモンドでとり巻いた指輪を、恋人のエバ・ブラーエに贈りました。

 

当時15歳だったモデナ公女マリーが、1673年にジェームズ2世と代理結婚をした際には、ローズカットされた大きなダイヤモンドリングが贈られました。

 

清教徒たちは、このロマンティックな風潮に真っ向から逆らい、教会の儀式にも反抗してマリッジリングを廃止しようとしましたが、成功しませんでした。


17世紀では、人気のあったのは、エナメルで花束を描いたポージー・リング。


リングの裏側に短い愛の言葉や名前、詩などを刻み込みました。

また、ダイヤモンドリングも依然として強い人気を誇っていました。

 

1668年のサミュエル・ピープスの日記によれば、彼の叔母は「ダイヤモンドのついたマリッジリングをとても自慢にしていた」、また「ロースト・ラムができあがるまでの間、ロジャー・ピープスのリングに、どんな詩を刻むかを家族みんなで考えた。」と書いています。

 

当時、リングに刻む詩を何にするかは人々の関心の的でした。

「この金のリングを、汝に与えし男を愛せよ。汝に接吻するは彼なり、年老いた日にも。」
といったウィットに飛んだ愛らしい詩から、
「かつてのイサクとリベカのような夫婦に、神よ、我ら二人を成したまえ。」
というような、清教徒の厳格なモラルを反映した宗教的な詩もありました。


18世紀になると、それまで内側に隠された言葉が、リングの外側にエナメル装飾的に記されるようになり、言葉も厳粛な意味よりも、幸せを表したものに変化しました。

 

そうした中、ポウジーリングは18世紀末に制定された「結婚指輪法」によって終わりを告げます。

 

これは正規の純度検証刻印を強制的に刻印させるもので、その結果、リングの言葉を刻むスペースが奪われてしまいました。


19世紀の産業革命は、多くの人々を裕福にし、成功した実業家は、妻にたくさんの宝石を買い与えて、新たに手にした富を世間に示しました。

 

宝石のついたエンゲージリングにゴールドのマリッジリングという2つを、花嫁に贈る習慣はこのころには確立します。

 

このため、ダイヤモンドは以前にもまして需要が高まり、1870年にアフリカ大陸でダイヤモンドの大鉱脈が発見され、供給が需要に追いつくようになりました。

 

多くの人々がステータス・シンボルとして、ダイヤモンドを手に入れることが出来るようになり、ダイヤモンドのひとつ石や小粒のダイヤモンドリングを選ぶ、若いカップルがどんどん増えていきました。

 

当時、すでに主流であった58面体のブリリアント・カットは、17世紀にヴェネチアの職人ペルツィが発明していましたが、ダイヤモンドの持つ輝きと魅力が本当に発揮されるようになるのは19世紀になってからのことです。

 

ダイヤモンドの原石が豊富に手に入るようになったことで、興味の中心はダイヤモンドをどう並べるかよりも、ダイヤモンド自体の真価へと変わりました。無傷のダイヤモンドをひとつだけ飾ったエンゲージリングが流行の最先端になります。


6月は英語で「JUNE」です。

 

このジューンの語源は、古代「ギリシャ神話」に登場する女神「ジューノ」からきています。

 

女神「ジューノ」は、結婚や出産をつかさどる「女性の守護神」。

そして、ギリシャの神々の中でも最高権威を持つ「ゼウス」の正妻です。

 

つまりギリシャ神話で最も恵まれた結婚をした女神ジューノが6月=ジューンの元になっているので、結婚や出産をつかさどる「女性の守護神」がついている6月に結婚する人たちは幸せになれるということで世間に広がりました。

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