愛に理由はない


これまで「愛」をテーマに、自分から綴ることはありませんでした。私たちが何かを愛するとき、愛を語ろうとするとき、そこには何らかの理由があります。しかし、世間で愛と呼ばれる中には、それは愛なのか、と疑問に思うことも多々あります。これまで綴ろうとしなかった理由は、世間とは異なる愛に対して、綴ることに抵抗があったから。でも、綴ろうと決めた理由は、愛についてこう考える人間が、手作り指輪をやっていると知ってもらいたかったからです。では、本題へ。

純愛無償の愛

理由のある愛が成立するには、特定の対象が必要となります。しかし、その特定する対象に愛する理由が無くなれば、当然ですが愛も無くなります。例えば、この人は自分にとって理想の人だと信じて、相手も受け入れてくれて結婚したとします。しかし、結婚生活ではふたりの環境は変わっていきます。よくある話で、恋愛関係では気づかなかったことが、結婚してわかることが多々あります。

 

「あなたと一緒にいると安らぎを感じるから、孤独が癒されるから。」という理由であれば、一緒の生活の中で過ごす時間が少なくなった場合には、安らぎを感じられず、孤独が癒されない不満から愛せなくなるかもしれません。理由のある愛は、始まりと終わりがあります。理由のある愛は、永遠の愛ではありません。つまり、永遠の愛とは、始まりも終わりもないということです。

 

『愛に理由はない』愛は、特定の対象の存在が有る無しに関わらず、愛なのです。「愛するのに理由が必要あるのか」愛に理由がないことを知る人が、事実をありのままに語った言葉かもしれません。愛の理由を自覚できない人が語った言葉だったかもしれません。その真意はわかりませんが、納得、共感させられる言葉ではあります。


永遠の愛

愛に理由がない、永遠の愛であれば“始まりも終わりもない”ご理解して頂いたと思います。これまで自分にとって、美しいものと醜いもの、好きなものと嫌いなもの、条件をつけていたものはなくなり、あらゆる人々やさまざまな物事にも、同じ愛のまなざしで見ることができるということになります。

永遠の愛

今、自分自身に質問してください。自分が愛と呼ぶものには理由があるでしょうか。また、対象を選別する条件はあるでしょうか。

  • 美しいものを愛するのと同じように、醜いものも愛することができる。
  • 自分に喜びを与えてくれる人を愛するのと同じように、自分を苦しめる人も愛することができる。
  • 自分の考えに賛同してくれる人を愛するのと同じように、反対する人も愛することができる。
  • 自分を愛してくれる人を愛するのと同じように、自分を憎む人も愛することができる。
  • 大切な人だと思う身近な人を愛するのと同じように、縁遠く顔さえ知らぬ無数の人々も愛することができる。

いかがでしょうか?何かを愛していても、別の何かは愛していません。愛する対象を限定しています。自分だけではなく、多くの人が知っている愛は、条件つきの愛ということです。

 

つまり、ある人を愛しても別の人は愛さない。そんな愛を私たちは当たり前のように愛と呼んでいるのです。今は愛していても、この先は憎んでいるかもしれない。そんな愛しか知らないのに、永遠の愛について語ることができるのでしょうか。


利己的な愛

人が何を愛し、何を憎むか。その人が持つ背景によって異なるかもしれません。基本的には、対象に対して情動的に反応するという仕組みです。

 

つまり、理由のある愛は、すべて利己的であり、特定の対象から快楽なのか不快なのかで判断しています。利己的な愛は、相手のために有るかのように偽装しながら、実は自己の利得を追求しています。

 

さらに、同じ対象でも、さまざまな要因で複雑になったりする場合もあり、常に同じように反応するわけではありません。日々新たな経験や知識は増えますから、同じ対象であっても反応は変わります。

利己的な愛

結婚までの交際期間について様々な意見やデータが議論されます。根本的に、ここを理解する必要があります。利己的な愛は、対象を限定します。それ以外のものに対しては無関心、あるいは嫌悪や憎しみを抱きます。

 

嫌悪や憎しみを取り除くことはできません。愛は憎しみの裏返しであり、本質的には憎しみと同じだからです。世間で愛と呼んでいるのは、憎しみなくして愛はなく、愛なくして憎しみはないのです。

 

表と裏、光と影のような関係です。世間で愛と呼んでいる“理由のある愛”愛憎という対極を生みだし、愛するものと、憎むものと二つに分割することを意味するのです。

 

“理由のある愛”愛するものを失う悲しみや、失うかもしれない不安を伴い、何かを愛し、愛するものに執着し、愛するものを得たい。愛するものを所有し続けたいと常に渇望しています。

 

同時に、何かを愛し、執着することが出来ないことに対して、人生を悩み、苦しむ人もいます。これが、世間でいう愛の現実ではないでしょうか。


純愛(無償の愛)

ここから最初のタイトル「愛に理由はない」に触れていきます。

 

愛憎はありませんが、理由のない愛は、善悪という対極を生みだします。良い行い、悪い行いと二つに分割することを意味します。

 

理由なき愛では、自分自身にも他人にも役立つことをするのは正しく、他人を傷つける行為はすべて間違いです。

 

理由なき愛では、他人の中に美点を認めて称賛することは正しく、他人の欠点や悪い行いを強く非難するのは間違いです。

 

その間違った行動に、忠告するのは正しく、良いことをするように助言しないで避けたり、無関心であることは間違いなのです。

東京で手作りする結婚指輪&婚約指輪

ここで、先程と同じ質問です。

  • 美しいものを愛するのと同じように、醜いものも愛することができる。
  • 自分に喜びを与えてくれる人を愛するのと同じように、自分を苦しめる人も愛することができる。
  • 自分の考えに賛同してくれる人を愛するのと同じように、反対する人も愛することができる。
  • 自分を愛してくれる人を愛するのと同じように、自分を憎む人も愛することができる。
  • 大切な人だと思う身近な人を愛するのと同じように、縁遠く顔さえ知らぬ無数の人々も愛することができる。

 いかがでしょうか?何か心の中で腑に落ちたり、気づいたことはありましたか?理由のない愛は、無償の愛(純愛)と言えます。純愛(無償の愛)だけが、調和、善、親切、助け合いの平和を生み出すことができるのです。真実の愛ではない愛は、不調和、苦しみ、悲しみ、憎しみを生み出します。

 

『純愛(無償の愛)』どうしても途方もないくらい大きな愛と感じるかもしれません。しかし、だれも傷つけないように心掛けるだけで幸せな人生になります。もし、何が正しく、何が悪いかの判断ができなければ、歴史に残る偉人たちの行動を紐解いてみてください。リンプラで指輪を手作りされた方の物語を紐解いてみてください。


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