約束の行為


リングを贈るのは、昔から≪約束≫をする行為でした。結婚の約束を表す婚約指輪は、最も≪神聖なもの≫として使われました。深く歴史に根ざしているものはありませんが、婚約の誓約、そして愛の証として贈られるリングは人の心とより深く結ばれています。

 

『エンゲージリングの歴史について』最も古いものは古代ギリシャにさかのぼります。マリッジリングを交換する習慣はまだなかったようですが、愛の証となる様々な種類のリングが今日に伝わっています。

 

例えば、「ヘラクレス・ノット」と呼ばれる結び目を描き、結婚を機に花婿が花嫁の衣装を解くことをほのめかすものもあれば、愛の神エロスを描いたリングもあります。これに愛の女神である母のアフロディーテを伴うものと、そうでないものの双方がみられます。さらに、夫オデュッセウスの帰還を辛抱強く待ち受けるペネロペの図柄は、貞節な妻を称えるものだったようです。ギリシャ語で「愛しの○○(女性の名)」と金字で盛って銘を入れた銀のリングなどは、男性から女性に、愛と賞賛のメッセージを伝えた、ごく初期の例です。

 

婚約や結婚にリングが贈られた理由は、 「永遠なるものと天は、共に丸く、形はその象徴である」という言葉に象徴されています。輪は終わりが存在しません。恋人たちの相思相愛の念、真情を輪のごとく巡り続ける永遠の象徴を表します。

何の飾りもない鉄の輪

古代ローマの時代に、商取引の成立の際にリングを交換するしきたりがありました。結婚の約束を公に誓うものとして、生の輪廻と永遠の象徴であるリングを贈る習慣が生じました。プリニウスの「博物誌」には、婚約指輪は鉄製であったと書かれています。古代ローマでは何の飾りもない鉄の輪をエンゲージリングとして贈っていました。当時のローマでは「変わらぬ愛の証に、この指輪を捧ぐ」という意味のラテン語を刻んだリングや、キューピッドもしばしば登場します。詩人オウィディウスは「恋の歌」のなかで、「我が愛しき人の指をひと巡りするあの妙なる品、その価値は贈るものの愛をおいて他になし」と唄っています。

 

デザインは、ローマ時代になって初めて用いらるようになりました。耳をつまんだ手に「私を忘れないで」という言葉を添えたものがあります。耳には記憶が宿ると信じられていました。古代から愛の言葉を刻んだエンゲージリングを≪ポウジーリング≫と呼びます。紀元前400年頃のギリシャではただひと言「ハニー」と刻まれていました。初期のエンゲージリングは比較的簡素なデザインでした。そこに、ポウジーリングが誕生しました。ポウジーとは、リングの裏側に刻む「銘」のことで、短い愛の言葉を配しました。

 

例えば、「Pignus amoris habes.(ピヌス・アモリス・ハペス)」とは「汝への愛の誓い」と訳せます。刻まれる言葉は3語で構成される言葉が多く、3という数字には当時のローマでは縁起の良さなどがあったのかもれません。ちなみにポウジーには「花束」の意味もあります。

2世紀のローマで金の指輪の誕生

当時のモチーフは、ふたつの「握り合う手」に夫婦の誓約を表しました。3~4世紀頃にイギリスのノーフォーク州マイルハムで出土した「握り合う手」を模ったモチーフは99%以上の純金を使用したローマン・ジュエリーの一品です。【手と手が握り合う図柄】になっているフェデ・リング。フェデとはイタリア語で「忠実」を意味します。かたく握り合う手の形がいかにも象徴的です。起源は3~4世紀頃のイギリス99%以上の純金のリングです。中世にそのデザインが『フェデ・リング』として復活しました。12世紀のイギリスで用いられるようになり、変化する美術様式に影響を受けながら、その後も600年にわたって大衆の支持を得ていました。

 

初期のキリスト教会が、握り合う手のモチーフを婚姻の誓いの証として認めたため、古代ローマ時代から握り合う手と二人の肖像を描いた指輪はそのまま用いられていましたことが背景にあります。ビザンチン時代には、花嫁と花婿の前身像が描かれました。二人の前にはキリストが立ち、手を握り合わせるか、あるいは冠をかぶせています。

 

ダイヤモンドリングの歴史は3世紀のローマに始まります。当時のダイヤモンドは8面体の結晶でリングに設置されました。しかし、ダイヤモンドを≪婚礼の象徴≫とするようになるのは、さらに数世紀後です。ダイヤモンドが最初に発見されたのは、紀元前数百年前≪インド≫です。インドでは石の美しさよりもその魔力ゆえに珍重されていました。ダイヤモンドは、蛇や火、毒や病気、盗難などの≪災い≫から守られるとされていました。当時のインドでは、純白のダイヤモンドが価値あるものとして、ローマでは硬さを珍重していました。実用性を重んじる中国では、彫刻のための道具として、迷信好きのイタリア人は毒から身を守るものと信じていました。

ダイヤモンドを贈る意味

15世紀に、切れ目のない円が象徴する「永遠」の意味に、「夫婦の愛」と「誠実」を象徴するダイヤモンドによってさらに強調されるようになり、婚礼の儀式に用いられるようになりました。ダイヤモンドは≪無敵・不屈≫の象徴です。人生の苦楽を共にする夫婦の愛の象徴に、これほどふさわしいものはないとこの頃から考えられるようになりました。

 

ダイヤモンドが婚約の証に使われたことを証明する最古の例。マキシミリアン大公(後のローマ皇帝)がシャルル公の娘、ブルゴーニュ公女マリーと結婚する直前の1477年7月30日、モロルティンガー博士が、マキシミリアン大公に送った手紙には「婚礼の際、殿下はダイヤモンドのついたリングと金のリングをお持ちにならなければなりません。」と書かれていました。

 

このように15世紀末には、ダイヤモンドリングを贈ることが王族の結婚の重要な儀式となりました。この当時まで、ダイヤモンドは天然の結晶体のままで使われていました。ふたつのピラミッドを底面で合わせたような8面体の結晶は、ピラミッドの上半分だけが誇らしげに頭を覗かせるような形でセットされていました。当時、ピラミッドの下には上半分とまったく同じ形、同じ大きさの悪を象徴するピラミッドが埋まっているとされており、ダイヤモンドの結晶体も同じ象徴的な意味を持っていました。

 

中世後期の金細工士たちにより、ダイヤモンドの価値を更に際立たせるようなデザインを施すようになりました。ダイヤモンドをかまぼこ型にカットしたり、バラの形やアルファベット、また聖母のシンボルである白百合などのモチーフをダイヤモンドで精巧に表現するようになりました。

 

16世紀になっても、まだダイヤモンドリングは珍しいものでした。王侯貴族の庇護のもとで技を磨く金細工師にとっては、よりすばらしいダイヤモンドリングを創ることが腕の見せどころでした。立体的な模様をエナメルでソフトに彩り、彫刻的なアーム部分に尖ったカットや、テーブルトップカットのダイヤモンドを埋め込んだデザインが生まれたのがこの時代です。またダイヤモンドを埋め込む部分に銀箔を内張りをして、ダイヤモンドのもつ純粋な白い輝きを強調する工夫をしました。ダイヤモンドそのものの美しさが融合するようになり、王国貴族の間では、ますます多く使われるようになりました。

  • バイエルンのアルブレヒト5世のマリッジリング

16世紀の技術の粋を尽くして小さな16個のダイヤモンドがバラの形にちりばめられています。

  • スコットランド女王メアリー・スチュアートとヘンリー・ダーンリーの結婚式

1565年には3つのマリッジリングの内、ひとつは赤エナメルで彩色され、ダイヤモンドをひとつ飾ったものでした。

  • メアリー女王の息子であるジェームス一世とデンマークのアン女王

1589年にマリッジリングとして、金にエナメルを彩色し、ダイヤモンドを5個ちりばめたダイヤモンドリングが選ばれました。

 

16世紀には王侯貴族を中心にダイヤモンドが珍重され、17世紀には更にその美しさが引き出されていくようになります。

金細工師の技術

ルネッサンス期に金細工師の技術が生み出したマリッジリングのギメル。ギメルとは≪双子≫を意味するラテン語gemelliのことです。ギメル・リングはリング下側の中心点を軸に、扇のように開く2つのリングから出来ています。閉じれば、ひとつのリングのように見え、ふたりがひとつに結ばれる結婚を象徴しています。1600年頃にはギメル・リングも≪永遠の愛≫、そして≪絆≫をさらに強めたいという恋人たちに支持されデザインの流行となっていきます。

 

ギメル・リングとフェデ・リングは、新しいロマンティックなシンボルとなりました。そして、第三のシンボルとして『ハート』が加わります。凝ったものになると、エナメルで彩色した2本の手が、大きいハート型のダイヤモンドをささげ持つようなデザインさえありました。17世紀にはこれ以外にも、情熱で燃え立つハートやキューピッドの矢で貫かれたハート、誠実の証の王冠を戴くハート、片手や両手に抱かれたハートなど、様々なハートで飾られています。ローズカットやテーブル・トップ・カットのダイヤモンドが使われました。スウェーデンのグスタフ・アドルフ国王は、愛情の証として、ハートのルビーをダイヤモンドでとり巻いたリングを、恋人のエバ・ブラーエに贈りました。

 

当時15歳だったモデナ公女マリーが、1673年にジェームズ2世と代理結婚をした際には、ローズカットされた大きなダイヤモンドリングが贈られました。清教徒たちは、このロマンティックな風潮に真っ向から逆らい、教会の儀式にも反抗してマリッジリングを廃止しようとしましたが、成功しませんでした。

指輪に刻む詩

17世紀では、人気のあったエナメルで花束を描いたポージー・リング。リングの裏側に短い愛の言葉や名前、詩などを刻み込みました。また、ダイヤモンドリングも依然として強い人気を誇っていました。1668年のサミュエル・ピープスの日記によれば、彼の叔母は「ダイヤモンドのついたマリッジリングをとても自慢にしていた」、また「ロースト・ラムができあがるまでの間、ロジャー・ピープスのリングに、どんな詩を刻むかを家族みんなで考えた。」と書いています。

 

当時、リングに刻む詩を何にするかは人々の関心の的でした。「この金のリングを、汝に与えし男を愛せよ。汝に接吻するは彼なり、年老いた日にも。」といったウィットに飛んだ愛らしい詩から、「かつてのイサクとリベカのような夫婦に、神よ、我ら二人を成したまえ。」というような、清教徒の厳格なモラルを反映した宗教的な詩もありました。

指輪の繊細なデザイン

ルイ15世の時代、才色兼備で知られたポンパドゥール夫人(1721年 - 1764年)を中心とする宮廷のサロン文化の最盛期にロココが華開いた時代。後のルイ16世の王妃マリー・アントワネットが「ロココの女王」と通称されるように、優美で繊細なロココ的な美意識や雰囲気は絵画や建築だけでなく、リングのデザインにも影響を及ぼします。

 

純白ばかりか、色のついたダイヤモンドも受け入れられるようになり、デザイン的にも更に凝ったものが作られるようになりました。例えば、ハートのモチーフを見ても、純白と色の着いたダイヤモンドを使ったもの、ハートの矢で貫かれたもの、二つのハートを飾ったもの、王冠を戴いたもの、恋結びで結ばれたものなど、様々なバリエーションが登場します。

 

しかし、1770年代になるとハートのモチーフよりも、ダイヤモンドの文字でSOUVENIR(思い出)、AMITIE(友情)、AMOUR(愛)などの言葉を、ローズ・カットのダイヤモンドや真珠で枠どりした濃紺のエナメルの台座に記す新しいデザインが主流となりました。また、ギメル・リングの仕組みも更に巧妙になり、それぞれのリングに別々の文字を記し、2本のリングを閉じ合わせた時にはじめて意味が分かるようなつくりのものが登場します。

 

このように、繊細で女性らしいジュエリーには、当時の優雅で洗練された時代の特徴が色濃く反映されています。特に、愛の象徴としてリングが珍重され、なかでもエンゲージリングは特に愛好されました。貴重なリングが抜け落ちないように、重ねてはめるキーパーリングが生まれました。現在のエタニティリングの前身にあたります。シャルロット女王も、マリッジリングが抜けないように、ダイヤモンドがついたキーパーリングをしており、これは現在もウインザー城に残っています。

ダイヤモンドが世界の人々を魅了する

18世紀、ブラジルでダイヤモンドが発見され、ダイヤモンドの供給量が飛躍的に増大しました。そのため、ダイヤモンド・ジュエリーが宝石細工師たちの関心の的でした。また、キャンドルを利用した照明技術の進歩によって、様々な社交の催しは、夜に行われることが多くなり、そこではダイヤモンドの輝きがもっとも映えるのでした。

 

こうして、流行に敏感な貴婦人たちは、色々なダイヤモンドリングで身を飾り、競って夜会に参加したのです。1745年にルイ15世と貴族たちがフランス皇太子とスペインのマリー・テレーゼの結婚を祝うためにベルサイユ宮殿の鏡のまで催された仮面舞踏会に、惜しみなく使われた無数のキャンドルがダイヤモンドを美しく輝かせたことでしょう。ダイヤモンドほどの神秘性を備えた宝石は他になく、ダイヤモンドは上流階級の女性たちの一番のお気に入りになりました。輝くものに対する憧れが更にダイヤモンドの研磨技術を進歩させます。

 

17世紀にヴェネツィアで研磨職人であるペルッツィによって現在のブリリアント・カットに繋がる最初の58の研磨面を持つカット、オールド・マイン・カットが開発されます。ローズ・カットからラウンド・ブリリアントカットにとって替わりました。また、リングの台を浅くして、ダイヤモンドをより露出させるとともに、ダイヤモンドの純白の輝きをさらに際立たせようと、銀の台にダイヤモンドを固定するようになりました。

 

このようにして現在でもエンゲージリングのダイヤモンドに最も多く使われるラウンド・ブリリアント・カットの輝きが女性の心を射止めたのです。その一方で、ルビーには赤、エメラルドには緑、といったように、色のついた金属の箔で色石を縁取り、その宝石の持つ色彩を強調する、従来の技法が使われました。

18世紀

 18世紀になると、それまで内側に隠された言葉が、リングの外側にエナメル装飾的に記されるようになり、言葉も厳粛な意味よりも、幸せを表したものに変化しました。そうした中、ポウジーリングは18世紀末に制定された「結婚指輪法」によって終わりを告げます。この法は、正規の純度検証刻印を強制的に刻印させるもので、その結果、言葉を刻むスペースが奪われてしまいました。

19世紀

19世紀に、永遠を象徴する≪蛇≫が人気となり、デザインに用いられるようになりました。ビクトリア女王は1840年2月10日に、母方の従弟に当たるザクセン=コーブルク=ゴータ公子 アルバートと挙式をあげた後、正式なエンゲージリングとして、スネーク・リングを選びました。スネーク・リングの蛇にはうろこのあるものとないものや、とぐろを巻いたものや尾をなびかせたもんがあり、高級なスネーク・リングの頭と目にはダヤモンドが使われました。また、栄華を極めた19世紀、ビクトリア女王は王室御用達の宝石商ガラードから何千ポンドもの宝石を買っており、膨大なコレクションを所有していました。

 

女王のコレクションの中でも最大のものは、東インド会社から、1850年に贈られた当時世界最大のダイヤモンド「コイヌール」でした。「バラ色の夜明けが、輝かしい日の出を約束してくれるように、エンゲージリングは、誓いの証として、その願いの成就を予告する。」ビクトリア朝の女性雑誌に記されているように、19世紀はビクトリア女王の上品に着飾った、か弱くも敬愛すべき理想の女性像で幕を開きました。ジュエリーも、それにふさわしく、可愛く、センチメンタルで女性らしいデザインとなりました。愛、ハート、王冠、花などのシンボルや、メモリアル・リングも18世紀から引き続き使われていました。ポートレート・リングの中には、精密に描かれた恋人の肖像が秘められていました。また、ロケットやブローチ、そして中には恋人や子供の髪の毛が隠され、非常に大切にされました。

 

このような繊細で、センチメンタルなジュエリーは19世紀の社会でステータス・シンボルとしても重要な役割を果たすようになりました。19世紀の産業革命は、多くの人々を裕福にし、成功した実業家は、妻にたくさんの宝石を買い与えて、新たに手にした富を世間に示しました。宝石のついたエンゲージリングにゴールドのマリッジリングという2つを、花嫁に贈る習慣はこのころには確立します。このため、ダイヤモンドは以前にもまして需要が高まり、1870年にアフリカ大陸でダイヤモンドの大鉱脈が発見され、供給が需要に追いつくようになりました。多くの人々 がステータス・シンボルとして、ダイヤモンドを手に入れることが出来るようになり、ダイヤモンドのひとつ石や小粒のダイヤモンドを飾ったエンゲージリング を選ぶ、若いカップルがどんどん増えていきました。

 

当時、すでに主流であった58面体のブリリアント・カットは、17世紀にヴェネチアの職人ペルツィが発明していましたが、ダイヤモンドの持つ輝きと魅力が本当に発揮されるようになるのは19世紀になってからのことです。ダイヤモンドの原石が豊富に手に入るようになったことで、興味の中心はダイヤモンドをどう並べるかよりも、ダイヤモンド自体の真価へと変わりました。無傷のダイヤモンドをひとつだけ飾ったエンゲージリングが流行の最先端になります。

エンゲージリングにはダイヤモンド&プラチナ

ダイヤモンドの原石が豊富に手に入るようになたことで、興味の中心はダイヤモンドをひとつだけ飾ったエンゲージリングへが流行の最先端になりました。また、プラチナも1900年頃には広く使われるようになっていました。プラチナの鈍ることのない白い輝きと、優れた耐久性は「天国の金属」と呼ばれ、プラチナが使われるようになり、デザインはよりダイヤモンドそのものを主体とする方向へと進み、台はほとんど見えないほどになって、装飾的なデザインをつけることは二の次になりました。

 

そうして≪ティファニー・セッティング≫が登場します。NY宝石店ティファニーは、画期的なオープンセッティングを発明。このセッティング技法によって、ダイヤモンドはサイドを含むあらゆる面から、光を存分に取り入れるようになりました。従来のセッティングではダイヤモンドのテーブル面しか露出しなかったため、ダイヤモンドの欠陥は目立ちませんでしたが、ティファニー・セッティングでは、ダイヤモンドの品質が厳しく吟味されるため、カット、カラー、そして透明度がこれまで以上に重視されるようになりました。

 

日本で結納品に添えることが普及したのは1960年頃です。1970年になるとエンゲージリングの取得率は67%になります。しかし、当時は真珠や誕生石を用いるのが主流だったようです。ダイヤモンドリングが飛躍的に伸びたのはテレビCMの効果でした。70年代からはじまり「お給料の3か月分」というキャッチコピーとともに、日本人の男女モデルによるCMが流された1982年には、エンゲージリングの取得率は79%。ダイヤモンドは70%を占めるようになりました。

 

デ・ ビアスが日本に対して行ったこのキャンペーンは見事に成功し、CMは時代に合わせてさまざまなカップルを描き続けます。普段あまり目にすることのない「他 人のプロポーズシーン」と、美しいダイヤモンドリングに日本中の男女が目を見張りました。こうして、日本におけるダイヤモンドは不動の地位を築いていった のです。

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